事例紹介

「分からないことは、聞けばいい」~84歳・三代目時計技師が歩む、事業承継のいま~
親族内承継

鹿沼市で三代続く中田時計眼鏡店。店主の中田康之さんは、今年9月で85歳を迎える現役の1級眼鏡作成技能士です。栃木県内に数人しかいないという卓越した技術を持ちながら、いま静かに、店の未来を次の世代へ手渡す準備を進めています。栃木県事業承継・引継ぎ支援センターと鹿沼市役所が連携して支えた、その歩みを紹介します。

■ 1.「開けた途端に分かる」――卓越した技術

中田さんの腕は折り紙つきです。かつて埼玉から、「どこに持って行っても直らない」という時計を抱えたお客様が訪ねてきました。地元で3軒もの時計店を回っても、原因が分からなかったといいます。中田さんが預かり、その場で蓋を開けると、答えはすぐに出ました。「コイルが切れている」。髪の毛より細い線の断線を、見た瞬間に見抜いたのです。「これでは動くわけがない」。長年、機械時計の修理を修めた目には、他店が見落としたわずかな異変も映ります。今も国産・舶来を問わず、ほとんどの時計に向き合っています。

■ 2.三代続く、まちの時計店

昭和16年、先代が東京・渋谷で創業し、戦時中に鹿沼へと移り住みました。時計・眼鏡・宝飾品を扱う店を、中田さんは妻と二人で切り盛りしてきました。手元を動かしながらお客様と言葉を交わすのが中田さんの流儀で、「今日は楽しかった」と言って帰る人も少なくありません。確かな腕と、その人柄。地域での評判が高いのは、両方がそろっているからでしょう。

学ぶ姿勢は、年齢を重ねても変わりません。3年前、81歳のときに眼鏡作製技能士の国家試験に挑み、六十数ページの資料を読み込んで90点台で合格しました。高校や中学の評議員、補導員など、地域での役職は今も十いくつ。会議では必ず全員に意見を出させる聞き上手でもあります。

■ 3.事業承継のきっかけと、思わぬ壁

そんな中田さんが、店の未来を考え始めたのはなぜでしょうか。尋ねると、答えは飾り気のないものでした。

――事業承継を考えたきっかけは何だったんですか。
「きっかけはもう、年齢ですよ。しばらく前から、息子に譲らなくちゃならないとは思っていてね」

IT関連会社に勤めた後に家業へ入った長男の恵一郎さんが、すでに三代目として店に立っています。父の背中を見て、自ら時計屋の道を選んでくれました。承継そのものは順調に見えました。ところが計画を進めるうち、思わぬ壁にぶつかります。在庫への課税です。

時計や宝飾品は、年月を経ても価値が落ちにくいもの。在庫を恵一郎さんへ引き継ぐ際、そこに税の負担が生じることを、中田さんは書類を手にするまで知りませんでした。「税務署の書類には、税金のことなど一文も書いていなかった」。

こんな経験をする事業者さんは、実は多いのです。

■ 4.専門家とともに、計画を描く――センターの支援

それでも中田さんに気負いはありません。何でも自分で調べ、役所に足を運んで手続きをこなしてきた人ですが、その流儀は意外な言葉で語られました。

――難しいことも、ご自身で全部やられてきたんですか。
「分からないことは、聞いちゃった方が早いんだよ。自分で悩んでいるより本当に早い。聞けば教えてくれるんだから」

その構えが、今回も生きました。本件は、鹿沼市役所と当センターが連携して取り組む事業の第一号案件です。当センターから会計士・税理士を専門家として派遣し、在庫の評価や資産の整理、事業承継計画書の策定を支援しました。鹿沼市役所の担当者も面談に同席し、公的機関がそろって関わることが、中田さんの安心感につながりました。「足踏みするか、走るか、交代するか」。複数回の面談を重ねながら選択肢を一緒に考えられる伴走者がいます。そのキャッチボールのなかで、進むべき道筋が少しずつ見えてきました。

■ 5.これからへ――後継者への期待と、伝えたい思い

時計や宝飾の世界では、後継者が見つからず一代で店をたたむケースも少なくありません。継いでくれる人がいて、相談できる窓口とつながれた中田時計眼鏡店は、幸運な一例なのかもしれません。だからこそ中田さんは、自らの経験を多くの人に伝えたいと考えています。

承継は、まだ道半ばです。「ここまでは経路を決めただけ。本番はこれからだ」と中田さんは言います。それでも、その背筋はまっすぐです。

――いくつになっても学び続けるのは、大変ではないですか。
「もっと上の人が、たくさんいるからね。しっかりした人が」

事もなげに、そう笑います。84歳でなお、自分はまだ上を見ている。その姿勢のまま、中田さんは次の一歩を見据えます。「自分のように在庫を抱えた個人事業者は、知らないまま進めると思わぬ壁にぶつかる。だからこそ早めに、他の人にも伝えていきたい」。一人の三代目が身をもって得た気づきは、同じ道の前に立つ誰かの、確かな道しるべになるはずです。当センターは、計画の完成に向けて、これからも中田さんの歩みに寄り添っていきます。